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中村勘三郎 死亡 やはり本当だった箝口令!死因は? [訃報]

中村勘三郎 死亡 やはり本当だった箝口令! 死因は?


歌舞伎界きっての人気俳優の一人で、テレビなどでも活躍した中村勘三郎さんが、
5日午前2時33分、東京都内の病院で亡くなりました。57歳でした。
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死因は急性呼吸窮迫症候群でした。



中村勘三郎さんは、昭和30年に東京で生まれ、昭和34年、3歳で五代目中村勘九郎を襲名して、「昔噺桃太郎」の桃太郎役で初舞台。
立役から女方までまでさまざまな役柄を器用にこなし、歌舞伎界きっての人気俳優の一人となりました。

中村勘三郎さんは、「元禄忠臣蔵」や「髪結新三」、それに勇壮な獅子の舞を表現する「鏡獅子」などの演技で高い評価を得ました。



平成6年から、東京・渋谷の劇場で、古典歌舞伎の演目を再構成した「コクーン歌舞伎」を上演したほか、平成12年には、江戸時代末期に浅草にあった芝居小屋を「平成中村座」として復活させるなど歌舞伎の魅力を幅広い世代に伝える活動にも力を入れました。


平成16年、アメリカのニューヨークでも平成中村座の公演を実現させるなど、中村勘三郎さんは、歌舞伎の魅力を外国にまで浸透させる活動にも貢献しました。


平成17年、3歳から名乗ってきた中村勘九郎を改め、人間国宝だった父親のあとを継いで江戸時代から続く大名跡中村勘三郎を襲名しました。


その後も、オペラの傑作「アイーダ」を基にした新作歌舞伎や、音楽にのせて早口で語る「ラップミュージック」を古典歌舞伎に取り入れたざん新な舞台に挑戦するなど、古典と新作の両方を巧みに演じ、中村勘三郎さんは常に歌舞伎界に新しい風を吹きこんできました。


平成11年にNHKで放送された大河ドラマ「元禄繚乱(りょうらん)」では、主人公の大石内蔵助を演じたほか、その年の大みそかの紅白歌合戦では白組の司会も務めました。


しかし、中村勘三郎さんはここ数年は体調不良に悩まされていました。


おととし12月に突発性の両側性感音難聴と診断され、休養したあと、去年9月から本格的に舞台に復帰したものの、ことし6月には、初期の食道がんが見つかりました。


7月には食道がんの手術に成功したものの、免疫力の低下などからARDS(急性呼吸窮迫症候群)を患って肺水腫になったため、9月に慶應義塾大学病院から日本医科大学付属病院 高度救命救急センターへと2度も肺疾患専門病院を転院してICU(集中治療室)に入っていたと言われていました。


肺水腫は肺の血管外から水分が漏れ、肺胞腔内に貯留して呼吸困難に陥る恐ろしい病気です。


そのため、すぐに呼吸器系に強い大学病院に転院し、肺に酸素を送り込む人工呼吸器、エクモ(ECMO=膜型人工肺)を装着して闘病中だったとのことです。



来年2013年4月に開場する東京 銀座の歌舞伎座での舞台復帰をめざし、回復に向けて治療を懸命に続けていた中での訃報でした。


しかし、急性呼吸窮迫症候群肺という重症の肺の疾患を患い、危篤状態であるがゆえに箝口令が敷かれていると週刊誌2誌が報じる中、5日午前2時33分、入院先の病院で亡くなったということです。


中村勘三郎さんは食道がんが見つかった際、「新たに与えられたこの試練に立ち向かい復帰に向けて治療に専念いたします!一日でも早く元気な姿をお見せできるように!」とコメントしていました。


中村勘三郎さんが歌舞伎界および日本に多大な貢献をなさったことに改めて敬意を払うと共にご冥福を心よりお祈りいたします。


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